この世のもの

見たものと考えたこと

映画『三度目の殺人』

夢の映像にかかるエフェクトが独特で美しかった。

広瀬すずが今回も凄い。ふだんはポテンシャルと手癖で60%くらいの仕事をしている印象がある(演出する側の問題もあるだろうし私の偏見もあるだろうが)広瀬が是枝監督の映画だと凄い。

表情が定型でないのが面白い、読めないけど何かがあるというのが分かる。

何かがあるというのは分かるけど、何があるのかはわからない。そういう表情というのは生活しているとまわりに溢れているのかもしれないけれど(そうそう人との関わりに富んでいない生活なのもあるけれど)映画で見ることができると感動を覚える。

キッチンを思い出す橋爪功のエプロン姿。

蒔田彩珠は福山の娘役。思春期の難しい感じが顔立ちからして伝わってくる。これからどうなるのか期待と不安。

冒頭の映像を信用出来ないものとするとルール違反ではないか。ルールって何かわからないけれど。途中の福山の想像の映像はそれと分かるからいい。やはり冒頭の映像は信用して読み取るべきであろう。それにしても見ているうちに仮説が仮説を覆うような感じでぐらぐらしてくる。福山でなくても今云うなよ!と思う。途中の広瀬の告白でだいたいの筋道がついたと思い、脳内の回路を作りかけたところでの否認だ。福山はそこに後ほど答えを与えようとするが、それまでに明かされた三隅との齟齬もある。結局のところは落ち着くものにはならない。

そこに焦点を当てるわけではないが、裁判への疑問もそこそこに示されている。結局のところ今回の三隅も物的証拠なく、自白のみに依って死刑となるのだ。

瀧本氏の映像は今回も美しいが、海街と違いそこに主眼がない。光を活かした事務所のシーンも美しいが、なんとも虚しい。広瀬と福山が座るベンチから見上げる木々の葉も同様であった。

海よりもまだ深くにも感じたことだが、監督の考えというか主題のようなものを登場人物にストレートに言わせすぎな嫌いがあるかもしれない。ただ、今回はそれが複数の人物に依って繰り返し行われたのでむしろ悪目立ちはなかったか。