この世のもの

見たものと考えたこと

第73回正倉院展 於奈良国立博物館

正倉院展に行った。

関西に引っ越してきたのだから、一度行ってみようという程度の関心で行ったのだが、想定以上に感動してしまった。

特に阮咸に。実物を左右の目で見ることによって、当然のことながら立体感が得られ、また光沢や角度による色彩の変化がわかる。それが、この螺鈿細工の作品では殊に感じられた。

玳瑁の赤、紫檀の黒とのコントラストで螺鈿の部分が明るい白に見える。角度によってその中に虹色の色彩がゆらめいて感じられる。かなり細かいところまで、ボディー全体に使用されているので、星空のような美しさがある。

奈良時代に制作されたものはいわゆる和風でも唐風でもなく、異国風という感じがする。

阮咸螺鈿に刻まれているインコの線は白描なのだが、線が細くても抑揚がある。柔らかく、立体感が感じられる。その周りの装飾品を平面に落とし込んだ紋様も自然な流れで構成が美しい。模様というよりも絵画に寄っており、また円形の中に点対称に配されているので、独特の浮遊感があった。

他にも、絵紙に描かれている麒麟麒麟麦酒のあれではなく、もっとスリムで現実の馬や鹿のようなフォルム、全体の雲の模様もふわっとしていて様式化されすぎていない感じが心地いい。

その他の宝物の紋様にしても幾何学模様が多用されているほか、動植物をそのまま描いたようなものが多く、あまり極端には意匠化されていない。

1200年以上前のものとは俄には信じられない、というのは隣のなら仏像館でも思ったことだが、やはり木製品、竹製品の保存状態が良い。他にはガラス、水晶、次いで金属、石、紙の順だろうか。衣類や幕などの布製品、革製品が一番損傷されやすいとわかる。襪(しとうず、靴下)は復元されたものが展示されていた。

大仏への献物はシンプルに宝物と言えるようなもの(七宝)であり、瑪瑙、水精(水晶)、白瑠璃(ガラス)といった素材をそのまま味わうような工芸品を見るのはなんだか良い体験だった。

素材といえば、犀の角と象牙で鞘と柄が作られていて、銀に鍍金されたシンプルな装飾がついている刀子はマットな質感が美しく、またプラスチックで作っていたらこんなに長持ちはしないだろうなと思わされる。木にしても、生物が生み出した組織というのは堅牢だ。

事務書類、文字、漢文、筆の申請、写経がここまでシステマチックなものとは知らなかった。完全に公務員の仕事であった。消耗した筆を交換するのに「申請」と書かれた書類を提出している。その他の帳簿などを見ると、やはり字の上手い下手があるのが素人目にもわかる。下手な人も書類を書かなければならないわけで、そういったものを見られる機会というのも貴重だ。

楷書体の読みやすさ。昔の手書きの文章が読めないのは行書、草書だからであって、漢字そのものの骨格というのは1400年前からそう変わっていないことが分かる。知っている字なら基本的に読める。所謂旧字体というのは活字体の話であって、手書きの書体としては現在活字化されている字体と同じだったりもするのだということがわかる。手書き書体と活字体の混同が余計な混乱や論争を招いていると思われる。異体字はそれなりにあると思われ、目についたところでは能という字、所という字は異体字だった。書けるようになりたい。

JR奈良駅近鉄奈良駅は結構離れていて、国立博物館で言うと近鉄の方が近い。春日大社にも行ったので、だいぶ歩いた。歩くにはいい季節であった。

第73回 正倉院展 | 奈良国立博物館

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