この世のもの

見たものと考えたこと

「ミナト町純情オセロ~月がとっても慕情篇~」於COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール

毎日新聞のこの記事を読んで思い立ち、大阪公演があったのでそれに行った。

劇団☆新感線を見るのは初めてだ。多分もう20年くらい前になるが、高校演劇の演目を決めるためにビデオを見たことはあると思う。今回は現代日本が舞台なので、当時見ていたファンタジー時代劇みたいなテンションの高いものとは全然毛色が違った。

チケット代は1万5000円くらいする。普段大規模な演劇を見に行くことがないので、驚いた。実際見てみると、出演者は多いし、時間は長いし(休憩込みで4時間弱)、ステージは大掛かりだしで、まあそれくらいするもんなのかと納得した。

せっかくなので、予習をして行った。シェイクスピアの「オセロ」の話を知らなかったので、Kindleにて。底本の翻訳とは違うが。1人の悪人の暗躍によって夫が妻を殺し、その夫も自死してしまうという悲劇だ。大体の役回りと筋書きえられたので、原作を踏襲しているところと違うところが分かって面白かったし、どうかと思う展開も原作からのものと思えば一旦飲み込んで見ることができた。

新訳 オセロー (角川文庫)

会場は大阪城の近くにある吉本系のホールで立派なところだった。コンサートとかもできそう。W列とまあ後方だったが、先日ネット通販で作った眼鏡があったのでしっかりピントの合った状態で見られた。もちろんいつもの双眼鏡も使ったけれども。

客層は想像以上に女性が多く、95%くらいだったのではないか。20代〜40代が多いか。男女比で言ったら昔フィギュアスケート見に行った時以来の感じだ。FSK的なものを持って看板と写真撮っている人を多く見かけたので、三宅さんとあとで知ったが丈役の方(寺西拓人さん)といったジャニーズ事務所所属俳優のファンが多かったことによるのかもしれない。他の新感線舞台を見たことがないのでわからないが。玲奈さんのファンはどこにいたんだろう。男性の中に潜んでいたのかもしれない。どうにせよマイノリティだった。

舞台は1955年の神戸と小豆島(一応捩った名前になっているがあまり意味はないと思うので無視)で、軍人と戦争は暴力団の抗争に置き換えられている。そう思うと太平洋戦争の話がもっと出てくるかと思いきやそうでもない。戦後10年ということは男性陣は徴兵されていた人が多そうだが、暴力団関係者の戦時中の立場とかはよく知らないのでわからないところだ。*1

登場人物について

原作ではムーア人(北西アフリカのムスリム)のオセロは、今作では日伯ハーフのオセロで、「日ブラ」などとも蔑称されている。岡本カウアンさんを連想せざるを得ないタイミングだ。岡本さんではなく三宅健さんが演じていて、もちろん初めて見た。ポスターなどでは割と本人そのままの感じだったのだが、実際には髭を生やしていて、メイクもちょっと目の周りが暗く落窪んでいる。小柄なのと、声が割と甲高いので威厳はあんまりなく、周りにささえられながらも頑張る若者頭という感じだった。参考資料として舞台映像をはろうと思っていたのだが公演終了とともに軒並み非公開になっている。なんなの…。*2

その妻のデズデモーナはモナという名前になっていて、議員の娘ではなく病院長の娘だ。玲奈さんは逆に声がちょっと掠れ気味な10年くらいの前の演技の印象で止まっていたので、よく通る声で芝居らしい芝居をしていたのに驚いた。みなさんプロだから当たり前なのかもしれないが、どの出演者も早口であっても聞き取りやすくて、もちろんつっかえたり言い間違えたりすることもない。玲奈さんの澱みない割と一本調子な口調が人生経験はなくても信念があってまっすぐなお嬢さんをうまく表現していたと思う。外見の唯一無二な美しさは相変わらずで、どの角度から見ても印象が変わる。首が長いので、オセロが絞めるときに、なんというか、余っている感じがした。

原作を読んでもイアーゴーが主役という感じがする。オセロとの関係が大きく変更されていて、アイ子という亡くなった組長の妻になっている。原作ではオセロの部下(旗手)で、何故かその正直さに全幅の信頼を置いている。それが飲み込みづらいポイントの一つではあるのだが、アイ子は世話になった組長の妻であり、組織の性質上も人間関係的にもその言葉を信じてしまうことに説得力があった。アイ子は関東大震災でデマを流されて親を失ったという過去があり、また夫を襲撃で殺されたことで完全に生きる目的を喪失している。オセロ(アイ子はオセロが夫を守らなかったという疑いを持っている)を陥れることに偽りの目的を発見するまでのアイ子にはすでに主役級の存在感があった。原作では自分を重用しなかったことへの逆恨み(どうやら人種差別も根底にあるようだが)で行動しているイアーゴーは割と純粋な悪に思えるのだが、このアイ子には感情移入するようなポイントが作られていた。

デズデモーナと関係を疑われる副官のキャシオーは丈というアメリカかぶれの若者になっていて、原作通りにインテリの大卒だった。演じていた方はジャニーズ事務所の俳優さんらしい。今知った。この役が一番原作通りだったように思う。調子に乗りやすいキャラクターを嫌味なく演じていた。

アイ子とモア以外の女性陣は、組が経営するキャバレーの店員で、イアーゴーの妻エミーリアに当たる役もその1人のエミという女性だった。夫のために行動するという店は変わりなく、服役している夫と住む家のためにアイ子の指示に従うのだった。キャシオーと関係を持つビアンカという娼婦に当たる役も同様のユキで、それともう1人チエというやたら歌うやや年嵩の店員もいて、その元夫の組員がおそらくオリジナルの役柄だったと思う。原作にないだけあってチエは割と色々なところを浮遊するように現れて、アドバイスしてきたり叱ってきたりする。

劇団に明るくない私でも知っている粟根まことさんが演じているのが三ノ宮一郎で、ロドリーゴーという、イアーゴーに唆されてデズデモーナを手に入れるためと思い込んで傷害事件を起こしてしまう人にあたる役だった。原作では「紳士」という、要するに貴族の馬鹿な若者なのだが三ノ宮(舞台が神戸だからか)は馬鹿な金持ちの議員だった。原作でも途中全然出てこなくて読んでいて存在を忘れるのだが、この舞台でも観客が忘れた頃に出てきてその感じが再現されていた。つけ髭(原作)どころではない変装を色々していて面白かった。

お話について

神戸が舞台なので、登場人物は香川の人も含めて関西弁を喋る。みなさん流石に上手だったが、関西弁で早口で主張を述べ立てるのを聞くとどうしてもせやろがいおじさんを思い出してしまう。玲奈さんも先ほども書いたが流暢で、時々疑問符のつくところもあるが見事に関西の娘さんを演じていたと思う。

原作を読んでいてぎょっとするのはイアーゴーにデズデモーナの浮気の疑いを吹き込まれた後のオセロの豹変ぶりで、いきなり嫉妬100%に近い感じになってしまう。もっと心に一点の曇りがありつつ平静を装っているのがじわじわと疑いが濃厚になってきてどこかで決壊するような感じを期待したいところだが、この舞台に於いてはさらにそこにドライブがかかっていてびっくりした。一応、原作の解説では寝取られ亭主が受ける屈辱が現代の比ではなかったこと、黒人であるオセロの被差別的状況などが背景として描かれている。また、新感線版ではモナと丈が大学出であるのに対してオセロがまともに学校に行っていないということや、オセロがブラジルの日系人社会の中でデマをもとに迫害を受けたことなどが要素として加えられていた。しかし、そういう問題の前に人格が変わりすぎだろうという気がする。オセロが組長代理として活躍する場面やモナへの愛を実感できる言動をあまり見ないうちに、嫉妬に狂って醜態を晒す場面を見せられるので困惑してしまう。

玲奈さんの見せ場は大きく二つあったと思っていて、まずは原作でも重要な「」柳の歌を歌うシーン。古い記憶では玲奈さんが歌が上手いと思ったことはほぼなくて(下手と思ったこともない)、そもそもSKE48のライブDVDを買ったら歌がリップシンクで茫然としたことがある。個人的には観劇前の不安材料だったのだが、エミだけでなくチエが同室にいて、エミがモナと一緒に歌ってくれるという展開だった。2人のユニゾンは美しく、モナが1人で歌う場面は結局なかったのだが、ソロで歌っても問題なさそうな軽やかで爽やかな声だったように思う。良かった。

もう一つは、オセロに疑いをかけられ酷い対応をされた後で、やはりエミやチエに対してオセロへの愛を語る場面。細かいセリフはすっかり忘れてしまったが、モナがアイ子の告げるような軽薄な人間では決してなく、一方でただ純真という訳でもなく、確固たる信念を持って生きてきたのだというとこがわかる、演説のような場面だった。オセロが自分のコンプレックスとして刺激された学がないというポイントも一笑に付してしまうのだ。松井玲奈さん本人が持つ意志の強さ、それが現れた眼光の鋭さというのがこの役に合っていたと思う。

なお、原作の解説にもある通り、この話は時間の流れ方が2層に分かれていて、キプロス島(小豆島)に着いてからの1泊2日の間に明らかにそれ以上の時間が必要な人間関係の変化、深化が起こっている。でも舞台とか映画ではそういうことはよくあると思うので、あまり気にならない。

そんな感じでした。

www.vi-shinkansen.co.jp

*1:初演の時は1930年代が舞台で、アメリカ文化(ファッション、音楽)を劇中に取り入れるための変更だったっぽい。

*2:三宅さんが事務所を退所したようなのでそのせいかもしれない。V6はもう解散していたのか。