この世のもの

見たものと考えたこと

映画「シン・ウルトラマン」

※鑑賞後を前提に書いています。

 

シン・ゴジラ」の成功を下敷きにした作品だった。

映画であるゴジラとテレビドラマであるウルトラマンの差がもともとあり、ウルトラマンが児童に向けた娯楽作品であることを考えると、この作品が全体的に「軽い」のも目指した通りなのだと思う。冒頭の神永が子供を助けに飛び出すところで、大体この感じの作品なのだなと姿勢が定まる。ただ、今回はあくまでも劇場版として制作されているので、テレビドラマの総集編を映画にしたような忙しなさがあった。ウルトラマンが特別な作品なのは科学特捜隊の人間関係、隊員の人となりがドラマを通じて描かれているからだと思うのだが、今回のシン・ウルトラマンではそこが希薄だったのが残念だった。せっかくウルトラQの怪獣をリメイクしたのだから、各職員がスペシャリティを活かして怪獣を倒すところを見せてほしかった。神永は ハヤタとは違ってどうやら人格はウルトラマン(リピア)になっているのだが、その異変に周囲も反応しないし、公安の人には普通に会っているしよく分からない、そこでバディだの相棒だの言われても…。

怪獣やウルトラマンのデザインは適度に格好良くなっていて全体的に好みだった。ザラブ星人が厚みのない殻のようなデザインになっていたのはオリジナルのデザインではないが、成田亨っぽい。ウルトラマンの肌が光沢を放って周囲を映したら美しいだろうというのは誰もが妄想したことがあると思うのだが、それが夜のシーンなどでは殊に美しく、これが見られるだけでもよかった。ウルトラマンは巨人であってほしいので、終盤に敵が巨大になったり場所が宇宙になったりする展開は(今までの劇場版でもあったが)、あまり面白く感じない。ベーターカプセルはポスターで見たときからお気に入りだ。音楽も鷺巣詩郎のオリジナルのみと勝手に思っていたので、宮内國郎の曲が鷺巣仕様にアレンジされていたのには興奮した。サントラは未発売らしいので待ちたい。

設定として良かったのが光の国(作中では光の星)が地球の味方ではなく、あくまでも宇宙全体の秩序を重んじる組織だったところだ。「三体」のような話で、自分たちの平和を乱す危険性のあるものは事前に排除するという動機で、ゼットンが兵器として登場する。最後のあっけなさ、ゾフィーの翻意は元のウルトラマンに近いといえば近いのかもしれないが、もう少し丁寧に描けなかったものかと思う。映画全体が112分で、もっと長くしようと思えばできたのではないだろうか。

結果として、「シン・ゴジラ」ほどには新定番にはならなそうだなという感想を抱いている。