この世のもの

見たものと考えたこと

ドラマを見ていて気になること

今まではドラマを横断的に見る機会があまりなかったのだが、見てみると共通して気になることがある。元々気になりやすい体質なので。

盗み聞きをする

他の人が自分をどう思っているかを知ってしまうとか、登場人物の背景を説明するとか、便利なのだろうか。みんなオープンな空間で噂話をしすぎだ。「ゴシップ」では飲み屋の会話が他誌に掲載されてしまうという場面があり、少し気が収まった。一つの会話で全てを理解しなくても、表情とか態度とか、会話の断片とか、いくらでも視聴者が状況を理解する機会は設けられるのではないだろうか。あまりにも盗み聞きが多すぎて、主人公が廊下を歩いているだけで嫌な予感がしてくる。

SNSとは何か

SNS」って口にすることありますか? 私はない。少なくとも私的な会話では無いのではないか。何、これテレビ番組なの? と思ってしまう。番組なんだけど。具体的な現存のサービス名をドラマの中で言ってはいけないのであれば、架空のサービスを作るべきではないか。「毎朝新聞」みたいに。いや、画面上では皆さんGoogle的なものとか、Twitter的なものを作って見せてくれているのだから、できると思う。岩井俊二の「リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画では架空のSNSが話の骨幹に関わっていた。名前は忘れてしまったけれども。

ぎりぎりで間に合う

視聴者はドラマが、特に序盤の回では悲惨な結末を迎えないことを知っている。だから危機的状況をぎりぎりで回避するのを見るとまあそうでしょうねという気持ちになってしまう。むしろ、どのように回避するのか、その経緯に注目をしている。ぎりぎりということは五分五分、要するに運が良かった(少なくとも悪くなかった)ということなので、そうではなく、回避した理屈の方で感心させてほしい。完全に個人的嗜好(全部そうだけど)だが。

文章に省略がない

日本語は主語を省略できるほか、日常的な会話では両者にとって前提となる部分はどんどん省略される。「どうだった?」とか。あんまり「日曜日の総務部の鈴木さんとの水族館デートどうだった?(仮)」とは聞かないですよね。だからたまたま電車や喫茶店で耳にする会話っていうのはなかなか捉えどころがなく、よほど前後をたどらないと話題の中心すらわからないこともある。ドラマであればその「前後をたどる」ということが出来るのだから、もう少し視聴者を信じてほしい。そうすると間が生まれて、表情や声のトーンに注目する余地が増えると思うのだ。

キーボードを使い、マウスを使わない

普通の仕事をしている人も、エンジニアのような人も、とにかくキーボードを使用している。しかも絶え間なく叩いている。自分の仕事をしている時を思い浮かべると、マウスを使用している時間も結構あるのだが。ピアノの演奏のシーンであれば、それなりに練習をして手の動きを曲に合わせたりすると思うのだが、パソコンを使用しているシーンでは何をしているのか想定して動かしているのだろうか。あまりそう感じられないことが多いが、自分のプログラマーとかではないので確信は持てない。解像度が低い。でも「ゆる言語学ラジオ」でも、プログラマーの仕事はGoogle使用している時間が多いと言っていたし、自分の少ない社会人経験でもオフィスではマウスのクリック音が多く響いていたと思う。

そんな感じでした。